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縄文杉のパワー
 何度も目覚めたが時間までペットからでないようにして、集合時刻を迎えた。フロントで朝食をお弁当にかえてもせてもらう。ここでは結局、朝食はとらないでずっとお弁当ばかりだった。なんと昨日も白谷雲水峡にご一緒したカップルと同じツアーのグループとなった。不思議。

 車両制限されているのでバスにのって荒川登山口に。ここで朝食の弁当を食べる。バスの名前がまつばんだ交通というのだが、平仮名で書いてあるせいか、いつもたれぱんだ交通と思ってしまう。杉を切りだすためのトロッコがここからのびているのでそれに沿って歩いていく。


自衛隊の行軍のようなものだとガイドのひとりがいっていたが、自然のなかを感じながらさっさっと歩いていくような感じだ。高山でみられるような杉の白骨樹があたらこちらに見ることができる。何度かガイドから興味深い話を伺う。江戸時代には泊如竹の指導で杉を切り出したが、大きな杉をそのまま川に流すわけにいかないので、切り出したところで加工することを進め、平板として切り出した。そのため曲がったところをきらって根元でなく、地面から5mぐらいのところに足場を組んで切り落としたという。そのため、屋久杉きってはいけないことになった今でも、林野庁が計画的に土埋木と呼ばれる江戸時代の切り残しを運び出して木製品として加工するために払い下げているということだった。土に埋まっているばかりではないのだが、なぜか土埋木というらしい。杉板は密度があるので、木瓦として活用されたという。そうして江戸時代によい樹、まっすぐと伸びた杉はほとんど切られてしまったそうで、縄文杉や弥生杉等は節ができたりふくらみができていたので、切られなかったようだ。8000本ぐらい切って、いまでは2000本ぐらいが残っているらしい。


だからその時代には縄文杉があることをしっていたのだろうが、近在になっての発見は昭和47年に役場職員だった岩川貞次さんが発見、最初は自分の名前から一字取って「大岩杉」と名付けたらしいのだが、発見からしばらくして地元新聞の元旦号で縄文の息吹をいまに伝えると紹介されたのが広がって縄文杉といわれるようになったとか。トロッコ道から山道に入り、山間の中を歩いてお昼弁当と温かなお味噌汁をいただいて、ようやく縄文杉に到着。


樹高25.3m周囲16.4mというがうねりをもった幹からはもっと重なった息吹のようなものを感じ取ることができる。1300mの標高にあるので、周囲の樹木の生育状況から推定して7200年であるとか、枝のサンプル採集から炭素測定法で2600年以上だとか幅広いが、すでに中心部が消失してしまっているようなので正しい樹齢はわからないそうだ。

じっかりとパワーをもらって帰り道は同じ道をたどっていく。ホテルに戻るともうすでに暗く、本当に丸一日かかっての行軍だった。入浴の時には温かい湯と冷水とに交互に入り、身体のつかれをとるようにした。ここのホテルはあまりいいことがなかったのだが、なぜか三岳がたくさん土産物として並んでいた。島内では品薄が続いて入荷しても一人一本と制限されている中ですごい。買った物を自分で栓を開けて最後の夜を楽しんだ。

| 11:59 | ゆったり・のんびり・ほっこり | comments(0) | trackbacks(0) |
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