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もののけの森で
 ホテルに多くの屋久島関係のガイドブックや写真集がおいてあったので、それらを乱読する。エッセイもまだ読み込んでいるので一気に屋久島フリークになった気持ちだ。

 島は周囲132kmで日本で7番目に大きな島。隣の種子島のほうが細長いので大きいのかと思っていたがそうではなかった。自動車で一周すれば2時間ぐらい。九州の最高峰、標高1935mの宮之浦岳をはじめ1500mを越える山が20座。九州上位7位までがここにあり、洋上アルプスともいわれる。9割が森林で、海岸沿いは亜熱帯の植物があるが、高い峰々では北海道旭川と同じ平均気温で冬には豊かな水蒸気が冠雪に変わる。そのため、垂直分布で高原性の湿原やシャクナゲなどの高原植物が咲き乱れ、ヤクシカやヤクザル(「やくざ」の「る」というのはすごい名前)など固有種が溢れる。日本列島自体が亜熱帯から寒帯まで南北に細長く四季折々の彩りや文化を生みだす元になっているが、ここでは島の中に縦向けに日本列島が入っている。

しかも、島の生成自体が花崗岩がプレート対流で盛り上がっているので、岩の上に薄くしかない土壌であまり栄養分がないところで、里部で3000mmぐらい(日本の平均では1500mmぐらいなのでこれでも多い。作家、林芙美子さんは安房に滞在し小説「浮雲」を表し、そのなかで出迎えを受けた地元の人に屋久島は月35日雨といわれるくだりがあるらしい)で、峰々のあたりでは10000mmにも及ぶらしい。まさに霧の中にずっと置かれている状況で日本に自生する種類の1/3にもあたる600種こけ類が森のダムとして湿度を保ち、少ない養分だから杉はゆっくりと育ち、密度の濃い屋久杉が生まれ、着床植物と恵みを分け合っている。

豊かな水量と急流を基に、この島では水力発電を行っていて、島全体の電力需要をまかなっている。化石燃料を使用しなくても電気をまかなっている島が次に目指すのは、電気自動車だと新聞に載っていた。島のシステムそのものがエコで先進的なのだ。

この日にはエコツアーの申し込んで「白谷雲水峡」の半日見学コースにいった。ガイドの方の車で別のカップルと3名で案内してもらう。里は降っていなくても、山では雨具は必須ですという通り、ずっと雨の中にいたが、戻って来た時には路面はぬれていなかった。苔むす森、悠久の時間を感じさせる屋久杉、飛龍落としといわれ豊富な水量を一気に流す渓谷。聞けば、水がきれいすぎて微生物が育たないため、川にはヤマメがいないといっ放流した人がいたそうだが、育たなかったそうだ。豊潤の森、そしてその恵みを人と自然が共生していることが認められて、ユネスコの世界自然遺産に白神山地とともに日本で初めて認定されたのだという。

屋久杉は1000年以上たったものしか、その名前は
つけないという。それ以下のものは「小杉」と呼ぶとのこと。普通の杉の寿命は500年程度であるので、杉としての固有の種は変わらないが、屋久島の自然環境の中で、豊富な水を吸って、少ない養分でゆっくりと育ち、樹脂分をたっぷりと含んでいるため、江戸時代の切り株がまだ土埋木として活用できるぐらいに表面はこけがついていて腐っていても中はまだまだ使用できる。ここでは世代交代が植林でなく、自然の中で行なわれ、倒木更新(倒れた木から養分を得て次の世代が育っていく)や、切り株更新(切り株の上に着床した杉が育ち養分を得て次が育つ)ということが進むのだそうだ。生きている杉の上に落ちた植物が自然の土を求めて根を伸ばし、地面に到達すると力づよく養分を吸い上げて、幹をからませて育っていく。ほかにもベンジャミンやガジュマロなど絞め殺す植物もある。動物と異なり動かない植物は長い時間をかけて静かな戦いを繰り広げている。
世界遺産には島全体がなっているのではなく、植林した杉は入っていないとのこと。杉を切り倒すとそこには固有の常緑樹、つばきなど葉がつやつやとした照葉樹が生えてくる。


楽しいエコツアーが終わり、近くにあるスーパーに入る。人々が口にしているものを食べようと惣菜売り場に行く。トビウオのすり身を揚げたさつま揚げのようなものをいだく。まだ熱かった。あとは地元の人とわけあって島ご飯のしらすまぶしなど。バスの一日乗車券を買ってあるので午後は気の向いたところまで乗って降りて、ガシュマルの見事な樹があった神社で遅いお弁当を広げた。歩いて屋久杉自然館と世界遺産センターにいく。豊富な映像資料とあす訪問する縄文杉から嵐で落ちた「いのちの枝」の実物があった。更に学習を深めていく。

歴史の中で屋久島は幾度となく現れる。縄文人の遺跡が見つかるだけでなく、唐招提寺をつくった鑑真も何度も来日を果たせなかったのが、日本にたどり着いたのが屋久島だった。戦国時代に、九州統一を目指していた薩摩の島津義久は大分の大内氏を破りいよいよとしていたが、大内氏は豊臣秀吉に駆け込み、逆に秀吉が九州を平定してしまった。そして太閤秀吉は東大寺大仏をしのぐ日本最大の大仏を鋳造し、京都方広寺をつくるにあたって各国大名に建材として良質の材料を拠出するように求めた。島津氏は屋久島によいものがあることを知っていたので特使を送り調査を行い、拠出するとともに、資源として管理するようにした。その時にきりだされた跡のひとつが「ウィルソン株」だと言われているが定かではない。島の人々にとっては深い山のなかにある樹齢何千年ものに神の姿を見ていたのだろう。切ることにとってはためらいがあったという。江戸時代に入って、コメがあまりとれない島民からの年貢は、税金として屋久杉をおさめたのだが、それは屋久島出身の僧侶、泊如竹が京都・本能寺や神戸などで儒教の勉強をおえて大名や琉球王の顧問を経て、島に戻り、貧しい暮らしの改善などに指導にあたった。杉を切ることに対して不安に思う島民に「よし、神の許しを得てこよう」と山に一か月こもり「神の許しを得て来た、前の晩におのを立てかけて翌朝倒れていたらそれは神の木で倒してはいけない。倒れていない樹は切ってもよい」として伐採を開始したという。一本を切り倒すと15本の杉を植えたり、切り株の上に杉の苗木をたてる棒祭などの風習があったという。

外に出てみると、杉の茶屋という土産物屋さんがあった老夫婦が店に立っておられ、ほのぼのした感じであったが、ここでシャーベットとおもちをいただく。のんびりとした時間を愉しむ。

バス停まで歩き、ホテルに戻って、また食事を楽しむ。三岳の話をガイドさんともしていたが、土産物屋さんやスーパーには並んでいなかった。まだ夕日が残るうちに屋久島温泉と呼ばれるホテルの一階の露天温泉に入る。ぬるっとした肌触りだ。明日はなんと4:50集合で、しかもホテルはチェックアウト、島内宅配をお願いして荷物を移動させてホテルを移ることになっているのだ。うまくいくのかな?と思いつつも明日にまかそうと休んだ。

| 11:57 | ゆったり・のんびり・ほっこり | comments(0) | trackbacks(0) |
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