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2日目のミャンマー、見学開始

 ミャンマーユニセフ、コールドルーム、中央医薬品貯蔵庫を見学、アウンサン市場にいき、夜はユニセフ招待の夕食会

朝、7時のモーニングコールというが、日本では9:30なのでもっと早い時刻から目覚めていつものように朝のウォーキングにでかける。朝日の中で思いつくままに歩いてみると、昨年のホテルとの位置関係がわかってきた。ヤンゴン駅をはさんだところに位置しているので、懐かしい朝の市も見ることができた。ただ昨年に比べて兵士の数が格段に多く物々しい。

ちなみにミャンマーでは、おはようもこんにちはもやあー、もやっとみんな、ミンガラバー、バイバイはタッターといいます。

 ユニセフ・ミャンマー事務所を訪ねて、安田医師よりミャンマーでの保健医療について全体的なレクチャーをうける。
週末に実施されるsNIDは準全国一斉ワクチン接種デーというべきもので、感染の危険がある地域に対してラストに行う。ミャンマーは人口5540万人、農村に70%が集中。5才未満の子どもが300-400人一日あたりなくなっている(日本では11人)。これは1000人子どもがいたら、5歳まで生きられない子どもが100人(日本では4人)10人に一人という効率だ。また母体の健康も深刻で110人に一人がなくなっている(日本では11600人に一人)。ユニセフは子どもが生来、取得している「権利」として「生きる」「成長する」「学ぶ」をあげている。出生したら戸籍として届け出るといった社会的なアクセスによってその権利を得ていくのだが、ここではままならない。そのため「病気」「労働」「暴力」「売買」などから「子どもを守る」活動をしている。ポリオも日本では1964年から実施するようになったので、僕と同年代でも小児マヒになった人はいる。ミャンマーでも1978年から予防接種をはじめて96年から全国一斉となった。これは天然痘に続いて地球上から2000年までにポリオを根絶しようと計画を進めた一環だったが、2000年にポリオフリーになったあと、06-07年野生株のポリオが発生したことがわかり改めて07-09年に全国一斉投与を行って封じ込めてきた。そして最後の最後に危険なところだけを行ってポリオフリーを宣言しようとしている。隣のバングラデシュと連携して行うが民族の移動によって危険が高まるのだ。
HIV/AIDSの予防は行動変容でしかないが、ワクチンは制圧しやすい。ただワクチンは熱に弱いためワクチンに応じて低温、冷蔵、冷凍のコールドチェーンを実際に投与する現場までつないでいくことが必要になる。公衆衛生についての概念がない地域なので、注意喚起をするために「ポリオワクチン」の歌をつくってガンガンながし、町にはキャンペーンのスローガンののぼりを立て、歌って踊って人々を集める。たまたまその日が出掛けていることもあるので、バス停に待っていて、船や駅で待ち構えてとやったことも。ポリオのワクチンは経口投与で簡単なのでちょっと訓練して助産婦でも投与している。
現政権下では予算総額は明らかにしていないが、3%程度と見込まれるので、現状はワクチンは100%
ユニセフが調達している。今後はペンタワクチン(5種混合)にシフトしていくが、JCVからは06-09の4年間だけでも3億円以上の支援を受けている。国連の機関はみんなで働きかけているが至っていない。支援には人道的支援(緊急支援)と開発支援があるが、ミャンマーの場合にはミックスで政府が自立していきつつ、危急の対応をしている。中でも軍政に対抗して欧米のドナーは開発支援をしないが、日本・ユニセフは中間的なスタンスを保っている。
コールドチェーンは-20度から+8度の間に保つために行われるが、JCVではワクチンだけでなくキャリーや太陽電池パネルなども支援している。ワクチン自体にもワクチン・バイタル・モニターがついていて、熱にさらされると色が変わるようになっている。



保健省のキャリアとして帯同するミャンマーの医師、ターターリー先生はとてもチャーミングだ。うつくしくスレンダーな姿勢で民族衣装をさらりと着こなしている。ミャンマーでは名字がない、姓がないので、すべて名前だ。
バスでヤンゴン市内を見て回る。昨年訪れた時にはヤンゴンでもサイクロン(ナルギス)の被害の爪痕が残っていたが、今ではほとんど残っていない。
ミャンマーではサッカー熱が高い。泊まっていたホテルのそばにもサッカー場があった。セパタグローという竹で編んだボールを蹴り合う日本の蹴鞠のようなゲームがあり、そこからも。ある日にはナショナルチームが勝ったので何台ものバスに人々がユニフォームを着て勝手にパレードをしていた。
ヤンゴンの動物園には動物が少なくなってしまった。ネピードーの動物園にいってしまった。池がきれいな公園はヤンゴンの人々にとってかっこうのデートスポット。若い男性はお弁当をもって木に登り上からそれを眺めて楽しむのだとか。
町に緑を多くするのは国の方針で、自分の庭であっても木を切ると罰金をとられる。

夜にユニセフ主催の夕食会で現地の方と英語でいろいろとお話しさせていただく。日本のムービーはビルマの竪琴といわれたが、何といっても著名なのは「おしん」だった。音楽ではスキヤキソングを日本の歌として認識しているという。
ホテルに戻ってからはラウンジと地下のディスコで異国を視察した。


| 20:14 | 時代の風 | comments(0) | trackbacks(1) |
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