「小説・渋沢栄一」を読んでいて、明治の初めの頃、近代国家としての黎明期に、「合本主義」として今日の株式会社の基礎を築かれていくなかで、欧米諸国に追いついて負けない日本を生み出していくことができると信じて、私利私欲でなく国家隆盛を考えて、奮闘されていかれる様子にいつも学ぶべきところが多くあると思っている。
中でも、農家出身の渋沢氏が、天然の肥料が大切と理解しているなかで、技術者・高峰博士に人口急増の日本の需要に応えられない、さらに多くの収穫が必要だと説かれて、会社を設立して、製造と販売に乗り出したが、それがさっぱり売れない。二期連続で赤字で、やっと三期目に黒字になったところで、当の高峰博士が自身の特許が米国の企業で採用になったので、会社を辞して渡米するという事態になる。
慰留に努めたが本人の決心が固く、国全体のためにそれも認めようと送り出す。しかし本当の技術者不在になり、会社はからい思いをする。それでもようやく需要が見え始めたときに、なんと工場が火災で全焼してしまう。渋沢氏は、ここであきらめずに、株主に説いてまわり、また新株募集も行い、退けられても、退けられても、果敢に挑み続ける。その決心と誠実さこそが仕事で大切なことだという。単に会社が焼けただけで仕事をやめる理由にはならない。とまでいう。事業の不遇や不振のときほど、気を堅く引き締めて、精一杯すべき時なのだ。
うまくいかないから、なんとかうまくいくようにしようと努力する。失敗するから、次はうまくやろうと手はずを整える。これを人はノウハウと呼ぶ。